枇杷

 ああ、飛べるかな。この夜が明けるスピードを倣い、広げた両腕を擦り抜ける重い潮風がじんと染みる。六月なのに寒くて毛細血管が縮んでいく耳が聞きたいのは、理論や数式や証明じゃなくて、海風と君の声だ。
 骨が歪んでいる、僕らは引力の上で赤く融けながらワルツを踊る生物だ。喩え悲しみが爪先に散らばる尖った小石たちであっても、痛みも忘れ、踊っていた。世界は今ひとつの球体の中心から湧き上がる愛で悲しみを超越しようとしている!堤防の背後に死んだような鉄骨がぼうぼうと巨きな喉笛を鳴らして、黒い夜に黒い魔法を唱えている。小さくなった背中を愛しいと思う、のは、僕は狂っていないと言うこと。
 君は僕が少しの死生を抱いて眠る紺青の夜の渦に棚引く、銀河たちの遺した鱗粉に似ている。水平線の向こうで塩に煙る東京の灰色がかった幻影に騙されそうだよ、いいよ、騙されても。航空障害灯が都市を燃やしている、そう見えるのは、僕の瞼にも、白波立つ海が溢れているから。二つの枇杷が潰れている、橙色がやわらかなアスファルトに滲んでいる。まるで今日の朝焼けみたいだ。飛沫は腥くて、あまい波濤が僕の裸足に絡み付いている。